井上千鶴のことば

 

日本のこよみ

 

今年の夏から「日本のくらし」を身近な目線で見つめ、思うことを文章にし

それに博道の写真を配した本を出版する準備に取りかかっていたのが

ようやく10月に入って出来上がりました。

 

観念的には分かっていることを、いざ文章にしようと思うと表現できないもどかしさに

情けない思いの連続でした。

しかし博道が他界し、今日までいろいろな方に励まされ

何とか元気に過ごさせていただいているお礼と御挨拶を兼ねて

拙い本でもお届けすることにいたしました。

 

最近はフィルム整理とデジタル化をするためのセレクトを時間の許す限りすることにしています。

フィルムを見るのは苦ではないのですが

夕方になると目が奥に行ったように思えて、メガネをはずすとピントが合わないような状態で、年を感じずにはいられません。

 

 

台風一過で今日は青空が広がり、何とも爽やかな日ですが

三日も続くと植物は水を欲しがっているなと気になりだします。

年を重ねるといろいろなことが気になって、本当に困ったものです。

 

 

 

井上千鶴のことば

 

27年目に思う

 

ブログ、御無沙汰しています。

何をお話ししようかと何日も考えはじめ

とり止めもないことをいろいろと思っているうちに

時間が経ち、ついつい眠くなってしまったりします。

 

会社の決算が10月ということもあって

9月に入ると1年を振り返り、商品の出来栄えや

幡としての商品企画が相応しいものであったか

消費者の方々に喜んでもらえるものを創れたか

利益はどうであったか

社員の人たち、スタッフの人たちが充実感を持って仕事を出来ていたか?

などなどを考える時期です。

 

振り返ると、このようなことを25年以上繰り返してきました。

毎年、毎年いろんな問題が起きます。

全く問題なく波風立たない状態など

27年間の間、一度もなかったように思います。

 

特に最近はコンピューターを使ってのデータの分析や

情報の収集などがめまぐるしく入ってくる中で

以前のような “感” や経験に頼るだけでなく

客観的な判断が出来ればよいのですがそれも中々難しいところです。

物に対する価値の判断基準が以前と今ではかなり違います。

また、その価値についても色、形、素材、雰囲気

それぞれの重点のあり方が人それぞれ、多種多様です。

 

そのような中でも「幡」らしさを

ひとつずつの商品に必ず込めないといけません。

その上で競争力の在る商品にしないといけません。

今まで27年間、手織り麻が好きで創ってきた商品ですが

その根本の「手芋み手織り」の製品自体がとても難しくなっています。

これは原産国の中国の社会情勢の大きな変化によるものですが

私たちではどうにもならない現状です。

以前よりいつかこういう状況になると思い

12~3年前よりそれに変わる「何か」を考え少しずつチャレンジしてきました。

 

手紡糸に近い味のある糸を使った機械織りのリネンからはじまって

素材の布と共に染色方法の見直し、新たな方法を考えることも含め

麻の布を使ったことなら何でもというほどいろいろなことをしてきました。

まだまだ今後もそれは続くと思います。

しかし、それだけでは飽き足りません。

天然素材の中でも奈良の地場産業の蚊帳で何か出来ないかと考え

7年前より衣料、特にホームウェアを作り始めました。

 

こうして私たち「幡」は創業時は手紡ぎ手織りの麻布の専門メーカーから始まりましたが

現在ではその商材が30%ほどになりました。

そして、機械織りのものや蚊帳がどんどん多くなってきています。

また直営店でセレクトショップの顔やカフェなども少し営むようになりました。

 

しかし、いくら時代や時々の社会情勢の変化があったにしても

むかうところの感性や気持ち、謂ゆるコンセプトはいつも一定でありたいと考えています。

時代と共に歩みながら、変化しながら私たちの思いを伝え続けたいと願っています。

そんなことを考えて今年の決算も何とか締めくくりたいと思っています。

 

秋の夜長、久し振りにブログにてお話させてもらいました。

明日はお彼岸です。

ゆっくり一日過ごします。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば


 

 

秋想う

 

 

今夏は例年になく季節の進行が早く

9月に入ると途端に朝夕が秋めいてきました。

なんとなく夜になると昔のことを思い出したり

去年から今年にかけて他界した友人などのことを考えたり。

1人で過ごす夜はついつい苦しい思い出がよみがえります。

 

考えてみれば、それは苦しいと同時に

その友人たちとの固い結びつき、絆があったからこその思いなのでしょう。

お互い元気で話し合えたときの心の交わりが深いところであったからこそ

今もその時の空気と信じあえる喜びが私の心の中に根付いています。

このような関係が持てたことこそが人生の喜びというものなのかもしれません。

ただ他界してはじめて、その方の大きさに気付くというのは

主人や親の存在と同様、己の至らなさに嫌気が指してきます。

 

来週あたりは十五夜、中秋の名月も見られる頃です。

月を愛で、感傷にふけるばかりでなく

まだもう少しハツラツと生きるためにも

現在も大切に、若い友人たちとも心通わせたいと願うばかりです。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

温暖化の影響かそれとも世界的な異常気象の一環なのか

突然の大雨や突風の被害で多くの人々が被災されています。

昨日も土砂降りの雨が始まったかと思うと

瞬時に雨が止んでしまったりとめまぐるしいお天気の変化の日々が続いています。

 

10日ほど前、お盆が終わった頃から

夕暮れ時にはそろそろとはっきりとしない虫の音が聞こえ出し

昨日、今日はそれは大きな音色を出しています。

それと共に油蝉やミンミン蝉のけたたましい音のトーンが落ちました。

ようやく秋の気配が感じられます。

 

昨夜半の地震、そして今朝方の雷鳴。

日本は災害大国だと身近に思う今日この頃です。

 

それにしても雨上がりの緑の美しさは格別です。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

 

風鈴

 

10年以上も前にいただいた風鈴を今夏、庭のテラスに掛けようと取り出しました。

木箱に入った風鈴は姫路の有名な鍛冶、明珍のものです。

そこに入っていた由緒には

武内宿弥の8代の孫大口臣より出ているとか。

明珍の名を賜れたのが近衛天皇の命で鎧轡を作ったときの褒美であったとのこと。

日本にはこんなに長く続いている家業が今も存在するのかと驚くばかりです。

 

それにしても、グローバル化が叫ばれる中

今後、日本の企業が世界の中でどのように活きていくのかなどと考えながら

四本の火箸とその中央に鈴になる鉄具と麻の短冊をセットしました。

 

風を受けると鈴が余韻を残して鳴ります。

 

お盆のこの時期、縁の人々と犬達の写真を前に

思い出に浸っていると、美しくやさしい鈴の音が心に響きました。

 

 

 

 

お盆近く

 

立秋に入り、残暑御見舞いの文言で便りが始まる頃になりました。

今夏は早くから台風が来ます。

一昨日より台風11号の影響で久し振りの雨でカラカラの庭の木々もホッとしているように見えます。

特に苔のところは夕方1時間ほど水遣りをしているにもかかわらず

徐々に茶色っぽく色あせていたのが、生き生きと首を持ち上げているように見えるのです。

自然の恵みのありがたさに感謝の気持ちでしたが

昨晩からの風と大雨にはさすがに

川の決壊で床上浸水などの災害のニュースを聞くにつけ、自然の威力に恐れを抱いたりと

人間とは勝手なものだとつくづく思います。

自然の威力を見るにつけ、私たちはもっと謙虚にならないととの思いに駆られます。

 

そんなことを思いながら、来週にはお盆の用意をします。

博道が逝ってから二度目のお盆を迎えます。

好きな果物とお菓子とお花を揃えて迎えたいと思っていますが

なんとなく虚しい気持ちです。

父が亡くなってから母もこのような気持ちでお盆を迎えていたのだろうと思います。

そんな母も去年9月に逝ってしまい、今年のお盆は初盆です。

私なりに母のお迎えもしたいと思っています。

 

娘と孫と一緒に博道、母、そして縁の故人の方々と今まで一緒に暮らしたワンちゃんたちと

にぎやかにお盆迎えをします。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

電車内でのこと

 

中国の習近平国家主席が北京郊外の盧溝橋にある抗日戦争記念館に77周年の記念の式典に出席したという記事を読みました。

このところ、中国は対日歴史批判が強く、中国中央テレビでは連日、日本の侵略の歴史を伝える報道がされているとか。

また、それを記事として読んでいる私たちの気持ちもいつの間にか中国の人々が皆、日本人に対して悪意を持っているように思えてくるのですが

先日、電車で旅行中の母娘3人連れの中国人らしき人たちと乗り合わせました。

日本人と見分けるのは身振りや話し声の大きさの違いです。

異国に居ても自信あり気な素振りに見えるのは私の“ひがみ”なのかもしれません。

そんな彼女たちの様子を横目で感じながら、お年寄りのご夫婦がおぼつかない足取りで入ってこられました。

ほぼ満席の車内で、今までおしゃべりに夢中であった3人の母娘はさっと立ち上がり、お年寄りに手招きで席に座ってと合図するのです。

その素早い行動は一瞬の出来事でした。

そして何事もなかったようにして立って3人の母娘はまたおしゃべりを始めました。

3駅ほど過ぎたところでお年寄りのご夫婦が降りられるとき、中国人の母娘に会釈をして出て行かれました。

 

また、今日大阪へ行く電車の中で、2家族7~8人の中国人と思しき人たちが

この暑さで疲れ果てたのか、向かい合うシートいっぱいに広がって寝ています。

その間に空いたところがあったので私が座ったのですが

よく寝ている余り、持っていた帽子を落としているのも皆気がつきません。

そろそろ下車駅かと2、3人が起き出してもまだ気がつかないので、帽子が落ちていることを知らせましたが

会釈もなく拾って知らぬ顔で次の駅であわてて降りていきました。

 

最近、関西でも中国や朝鮮の方に良く出会います。

日本人もそうですが、本当にいろいろな方といろいろな接触があります。

 

しかし、このような些細なことの積み重ねが各国の国のイメージを作り上げることにも繋がるように思います。

自分自身もいろいろな報道を見聞きすることによってその国のイメージを徐々に作り上げ

実際にその国の人をそのような目で見ていることに驚かされたりします。

中国の知人のことを考えたとき、日本人同様、商売に敏い人も居れば、人として誠実な人も沢山います。

これはどの国の人でも多分変らないことだと思います。

色メガネで見ることは慎むべしです。

世界中の人々がお互いを信頼し合い、平和な世の中を作る努力をしたいと切に思うこの頃です。

 

井上千鶴のことば

 

 

先週までのジメジメした空気とはうってかわり

今日は照りつける太陽がまぶしく、夏本番を思わせる天気になりました。

これから2ヶ月間は亜熱帯地域とは思われないほどの暑さの日々が続きます。

日本は四季があるから良いといつも思っている私ですが

汗のしたたるこの季節ばかりは何とか早く終わってほしいと例年願うばかりです。

 

そんな中、若い方達のマラソンや本格的に歩いてお遍路に行かれる姿をテレビなどで見ることがあります。

日常生活では味わえない過酷な状況に身を置くことで

何かを探り、見えてくるものがあるのでしょう。

 

私自身、そのような激しいことは出来ませんが、日々平坦な生活をしていると

こんな暑さの中で、庭の草引きや家の掃除などがしたくなります。

3、4時間、汗をかきタオルで拭いながら身体を動かし続け、ようやく先が見えてきます。

家や庭が整い、スッキリとした状態を見終え、シャワーをかぶって身体を冷やします。

 

冷えたお番茶をいただきながら、団扇で涼をとる。

この充実感は何とも言えない休日の楽しみでもあり

私の細やかな夏の「行」でもあります。

これから2ヵ月の間、何度「行」ができるか。がんばります。

元気であればこその行いです。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

ようやく梅雨模様

 

 

空梅雨のような天気が続き、暦の上ではもう半夏生(7月1日~6日頃)が来ています。

日の経つ早さに驚くのと、今夏の雨不足が農家の方々にとっては気がかりなことと思われます。

私の家の庭も今春、手を入れた苔の部分が気がかりで

毎朝1時間の水遣りが日課になるほど、梅雨に入っても雨の少ない日が続いています。

 

ようやく昨夜の天気予報で大雨とのこと。

待ちに待った「しとしと」の雨が今日昼頃より降り始めました。

元気のなさそうだった草花や苔がみるみる喜び、生気を取り戻した様子を見ている私も「ほっ」とし、

雨を聞きながら読みかけの本を開いて1時間、お昼休みを楽しみました。

 

新聞、TVでは集団的自衛権の閣議決定に対する否定的な報道が多い中

どうして政府だけがこんなに拙速にことを運ぶのか。

この先、どういうことを目指して、何を目的にしたいのか。

日本人の私たちの真の幸福になる方向を向いているのか。

世界の人々に対する、日本人として70年間戦争をせず、武器も売らず、ただ平和のために働いてきた勤勉な民俗という見方を変えることが

将来の若者にとって幸せになるのでしょうか。

他に方法はないのでしょうか。

いろいろな意見を読む度に考えさせられます。

 

そんなことも考えながら、今日の雨は本当に嬉しい雨でした。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

からみついた -紐-

 

20年前に仕入れた細いより紐が中芯の抜けた状態で年月と共にいろんな人が触り

結果として絡みに絡んでどうにもならないひとつの塊になって引き出しの中に有ります。

ずっとこの間、棚卸しの度毎にどうするでもなく以前の価格と量を書き入れている様子でした。

それを久し振りに私のところへ持ってきて

「もったいないのですが、どうしましょう。」と担当の人が相談に来ました。

とても美しい色の紐です。このまま置いておくのも生かされないし、

処分するにはそれこそ「もったいない」し。

考えた結果、私が出来る限り解いて巻き取り、使えるようにしようと

机の横に一箱置きました。

 

考えてみれば、私が幼い頃、祖母が絹の着物の糸を解いた時に出る一本一本の糸を結わえて

糸巻きに巻き取り、何年もかけてそれを貯めて(いろいろな色の糸で)

三つ編みや四つ編みの太い紐にして再生させたりしていました。

また、糸や紐が絡みついたときにはいつも「おばあちゃん何とかして!」と持っていくと

いつの間にか「はい、ほどけたよ」と言って直してくれたものでした。

こんな事を思い出しながら、昔の人のものを大切にする姿勢に驚くと同時に

今の時代に生きる私たちは忙しい忙しいと言いながら本当に大切なことに時間を使っているのかなとふと不安になります。

そんなことを考えながら、少しの空き時間に絡みついた紐を解き解き、少しずつ糸巻きに巻き取っています。

この紐を使って何かおしゃれな袋物を20年ぶりに作れることを願って。