井上千鶴のことば

 

初詣

 

例年ならば1月2日に行う我家の初詣も、この3年間は忌事続きで遠のいていました。

又、今年は去年末に孫 京華が鎖骨にヒビが入った為、

ようやく1月12日に遅いお参りに行く事になりました。

12日は成人式で華やかな着物姿の女性に会えるかと思った物の、

2人の着物姿の方に会っただけでした。

伝統的な衣装は、実用的な衣服には、なかなか勝てないのか、

それでも季節の行事や節目のお祭りは家族で参加するという、

何か辻褄が合わないけれど、現在の風潮なのでしょう。

自分達に都合の良い所だけは続けたい。

そんな風に見えてしまうのですが、止めるよりは、続けてほしいし、

又、年を重ね、いろいろな経験を積む事によって、古き良き行いを見直し、

続けたいと思う事もあるかも、多分そうなって欲しいと願うのですが。

 

いろいろな考えが頭の中を巡って、砂利道を歩み、

大神神社や、石上神社の神々しい空気の中をひたすら満喫しました。

 

おみくじは大吉。その文字の中に、はめを外し過ぎると、思わぬ不運も訪れる。

肝に命じて、慎しみながら、何事も推めて行きたいと思いました。

 

 

 

井上千鶴のことば

2015年

 

元旦は寒さはしっかり、それでも快晴の空で一年のスタートを切りました。

ところが、昼過ぎからだんだん空模様が怪しくなり、天気予報通り

細かな雪が降り始めました。

 

夕方、6kmほど離れた娘宅へ行ったときには

庭の木々の枝葉に雪が積もり、雪国のような風情になりました。

思わぬ雪のお正月です。

帰りの車道が気になりながら、親戚の方々との久しぶりの楽しいひとときを過ごし、夜半に帰宅しました。

 

今日、2日は昨夜とは打って変わって穏やかな青空で

積もっていた雪もどんどん融け出しました。

屋根に積もった雪に光が反射してキラキラとした午後の陽射しです。

 

 

年始のテレビを見ていますと、近年、特に去年は大変災害の多い年でした。

その上、グローバル化で世界の情勢が日本の政治経済にも大きく影響し

ひとときも安穏としていられないような状況です。

こんな中で私たち一般国民は何をどう考えたら良いのかという問いをされていました。

司馬遼太郎さんは晩年、日本国民の70%の人がこの国のかたちはどうあるべきかを

真摯に考え、皆が幸せで本当に良い国のかたちの合意を作ろう、

そうすることが、これからの日本のあるべき国造りが始められると

おっしゃっていたという意味のことを話されていました。

 

確かに日本人はこの20年間、バブルが崩壊してからというもの

自信喪失と災害の連続、そして政治への不信感などがない交ぜになって

行くべき道、進むべきところを見失っていたように思います。

そんな中、一昨年、去年とノーベル賞受賞が連続でもたらされたり

スポーツが活発になったりとか、マスコミも日本人に自信を取り戻させるような仕掛けを

意識しているかのような報道が多くなってきました。

 

東南アジア近隣の国々の人との交流も富みに増えているように思えます。

また韓国、中国との関係の微妙さも

「日本国民としてしっかりしないと」という気持ちにさせるのか

とりあえず、少しずつ失った自信と自覚を取り戻しつつあるのかもしれません。

 

それに加えて、日本人が今後どうしても意識すべきことは

自然をこれ以上壊さないということだと思います。

日本に生まれ育った私たちは今こそ自然の偉大さ、ありがたさを思い

大事に大事に次代に繋げていく使命と責任があります。

これは国民一致の思いです。というところで番組は締めくくられていました。

全く私も同感です。

私自身も積極的にそういうことができれば良いなと思いました。

 

良い一年にするよう、今年も努力します。

皆様も良いお年を。

 

 

 

井上千鶴のことば

 

お正月の準備

 

この二年間、私にはお正月はありませんでした。

久しぶりのお正月です。

年末の掃除の計画、買い物、少しだけのお節料理と

とにかく3年ぶりの年末準備は少し楽しいものです。

 

新しい何かを作り上げることを来年は是非していかないと

自分がないように思えるのは70歳近くなったからこそのことなのでしょうか。

 

以前いただいたシンビジュームが4厘も花をつけています。

来春には咲きそうです。

11月に入って冷え始めた頃、4鉢を室内に入れました。

少しずつ蕾房が大きくなるのが楽しみです。

鉢物の植物ですら同じ部屋に生きているということを感じます。

1週間に一度、陽射しの暖かな日を見はからって水をあげます。

 

ささやかな楽しみですが日々の中に

掃き清められた室内や正月の飾りや蕾をつけた植物の様子を見ることは

私の心をゆっくりと元気にしてくれます。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

生活

 

 

12月に入り、晩秋の趣きを楽しむ間もなく

毎日、大寒波のこの頃です。

私たちは寒い寒いということでまだ済んでいるのですが

雪国の方の大変さは多分私たちには想像もつかないほどのことなのだと思います。

 

博道の3回忌も先日、写真の後輩の方々や大阪芸大のゼミで教えていた頃の学生さんだった人たちやらで

滞りなく終えることができました。

ありがとうございました。

博道が他界してから私なりに何とか新しい生活に切り替えようと努力をしてきましたが

なかなか昔ながらの住空間にいますといつもいつも昔のことばかり考えてしまいます。

それが供養のひとつでもあるのでしょうか。

 

私自身の生活が張りのある前向きなものになっていかないのが

いつまでも苦しいというか、不甲斐ない気持ちの毎日です。

それで以前より気持ちの持ちようを変えようと考えました。

住まいを変える。生活環境を変える。

新しい自分を作っていく努力をしていこうとしています。

これが良いのかどうか、それはしてみないと結果分からないのですが

とにかく、じっと何もしないでいるのはたまらないこの頃です。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

数日前の朝、2階の自室から降りようと中庭に目を向けると

茶室の軒先に一羽の鳩がじっと考えるように止まっています。

 

気になりながら音を立てないようにして洗面所へ行きました。

用を足して、また中庭を見ると

まだその位置にじっと止まっています。

 

アシスタントの牧田さんが出勤してきました。

それでもまだじっと定位置です。

 

10分ほどしてバタバタと音を立てて中庭から抜け出そうと飛ぶのですが

四方を高いガラスに囲まれている中庭で

なかなか助走なしに一気に高く飛ぶことができません。

結局ガラス面に二ヶ所大きく羽を広げた跡がついただけで

今度は土の上に降り立ちました。

 

こんな事をくり返していると

どんどん体力を消耗してしまいます。

相談の結果、虫取り網で捕まえて

外へ逃がしてやろうということになりました。

 

ちょっとした大捕り物が始まり

無事、手でふんわりと抱え、広い庭へ逃がしてやりました。

 

この一連の行動が鳩にとってみると

何が何だか分からないことで

一体どうすればいいのかと立ち尽くし

その状況を理解するまで大分時間がかかった様子でしたが

一時間ほど後、鳩のいたところを見てももう居ませんでした。

 

「ほっ」としました。

 

一昨日からの雨風で、紅葉が一斉に葉を落とし

すっかり陽の入る明るい庭になりました。

本格的な冬枯れの季節の到来です。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

散り際

 

朝夕、めっきり冷え込むようになり

一気に楓の葉が色づき始め

庭のほとんどのもみじが赤に染まり

その赤も、黄色味を帯びたものから深紅まで

いろいろな彩りの美しさは今ひとときのことだと思っていると

今日は久しぶりの雨でした。

 

雨に濡れた葉はより鮮やかですが

同時に雨に打たれて葉を落とし

庭のそこここが赤一面に覆われます。

3日もするとふわふわの赤の絨緞が敷き詰められるようになります。

 

植物の中でも、もみじは成長もそれなりに早く

10年もすると枝も張り、幹も一握りでは無理なほどになる姿は

ほぼ私たち人間の成長と同じくらいに思われます。

 

秋から冬にかけてすっかり葉を落とした枝をよくよく見ると

新芽の準備をしっかりして、寒い冬の間はじっと耐え

4月頃になると新芽の先が少しずつ大きくなり

えんじ色の外皮を押しのけて葉が出てきます。

すぐに花も咲き出し、新緑の頃には小さな赤い花にみずみずしい緑の葉が

なんとも若々しい息吹きを感じさせてくれます。

それが夏になり、緑が濃くなる頃には花が実になり落ちて

小さな子供たちが一面、子葉を出します。

そして秋には、夏の間蓄えたエネルギーを一気に出すかのように紅葉を始め

やがて寒さと共に散り終えます。

 

1年が過ぎ、年月を重ね、同じことの繰り返しが少しずつ成長をもたらしていきます。

 

 

私たち人間は毎日毎日めまぐるしく立ち働いているようですが

大局神様から見ると、多分もみじとそんなに変わるところはないのかもしれません。

ただ人間は、人を傷つけたり、動物や環境にまで仇する「やっかい」な存在ということは悲しいことだと思います。

せめて人に迷惑をかけず、人を楽しませる楓のような人生でありたいと願ってやみません。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

落葉

 

秋も本格化し、道を歩いていると街路樹の落葉が

一歩一歩歩みを進めるその先々にいろいろな表情を見せてくれる

そんな季節になりました。

街中でもアスファルトに落葉があるだけで

自然と近くに居ると思えるのはとても心が安まります。

 

家の前の歩道に市が植えた「モチ」の木以外に

自然に生えた「センダン」の木が徐々に大きくなって

今では向かいの電柱が見えなくなるほどに育ちました。

その枝、葉が10月~12月にかけてどんどん落ちます。

1,2週間に一度は掃除をしますが

明くる日にはもう枝がいくらも落ちています。

それをくり返して、お正月ごろにはすっかり落ちきるのですが

それまではいつも家の前の歩道は自然な感じの落葉が積もっています。

 

ところが、その中に紙屑や煙草の吸殻、ジュース缶などが混じっていると

たまらなく嫌な気持ちになります。

自然とは異なるものがそこに在ると、全く別の風景になる。

極端な言い方をすれば、醜悪な場面になるということです。

 

こんなことを感じるのは私だけでしょうか。

 

博道が一時、嫌な風景というタイトルで写真を撮りためていたときがありました。

のどかな田園風景の中にセメントで貼り固められた川や

街路樹が枝を張るまでにどんどん剪定され、棒のような状態で並んでいる様子や

大きな風景の中に道を通すために山の一面を切り取り

セメントで網目のように固められた壁面など

枚挙にいとまがないほど、痛々しい影像が続きました。

 

人間が自然とどう折り合いをつけて生きていくのか

ますます問題の根が深くなっていくように思えてなりません。

こんな事を考えながら、深まりいく秋の風情をこの先1カ月間はゆっくり楽しみたいものです。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

フィルムの将来

 

朝夕がひんやりとした空気に包まれるようになりました。

フィルム整理とデジタル化を始めて半年が過ぎようとしています。

その間、何のために、いつまでに、どのグレードで、予算は、期間はと

いろいろなことを考えつつ、時は止まってくれないので整理を日毎しながら上記の問いに自問自答し

私たちのような門外漢でない専門の方々に相談しつつ進めてきましたが

今になって、この方法が良いのか、このまま続けていて良いのかという疑問が大きく大きくなってきました。

 

初期の考え方をもう一度明らかにして

とりあえず、現在のフィルムを整理し、低温低湿度の中で保つことを第一に

同時にデジタル化をA2くらいの大きさに伸ばせる程度のグレードで進めていくことを確認しました。

 

しかし、方法として外注をどこの会社にするか

また自分達でどこまでするかを決めなければなりません。

見積もりを取るのはもちろんですが、その中身がどれだけ正確に

グレード良くデジタル化できるのかを見極め

私たちがそれを遂行するのに必要な手間はどうかなどを考え決めていきます。

 

来週末には見積もり、テストなどが出る予定です。

この一ヶ月ほどの間、以上のことに迷いに迷い

デジタル化もストップしたままです。

 

なんとか11月中旬からは本当の意味で将来の展望を考え進めそうです。

フィルムを生かしながら、保存を確かなものにしていく

そして使いやすいようにデジタル化して20年、30年後まで

継げていけそうな気持ちになってきました。

ようやく朧気ながら少し道筋が見えてきたように思います。

明日からまた地道に整理をしていきます。

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

秋来る

 

庭の千両が夏の終わり頃から青い小さな実をつけていました。

それがこの一週間ほど前より、徐々に赤味を増し

幾つかの実は真っ赤になってきました。

同時にもみじも緑から赤へと木の先のほうから日毎に秋色に染まってきています。

日中は暑いときもあるのですが、朝夕の水は冷たさを感じるようになりました。

今年も花梨が豊かに実をつけ、そろそろ虫が入ったのか

二つ三つと大きな実を落としています。

本格的な秋の到来です。

 

来週から奈良観光の目玉ともいうべき

正倉院展が催され、一気に奈良は賑わいます。

奈良公園の紅葉も正倉院展の終わる頃から見ごろです。

春日若宮の御祭りがその後12月初旬から始まり、それが終わると奈良も静かな冬籠りです。

お正月まであと2ヶ月。一年の速さに驚きます。

 

 

井上千鶴のことば

 

エコについて

 

先日の朝日新聞の読者投稿の欄に

次のような内容の文章が載っていました。

 

娘さんと幼いお孫さんと3人で百貨店へ行き、授乳室を使ったとき

使用済みのオムツを入れるポリ袋に店で販売した肌着や洋服などの空き袋を再利用していた。

僅かなことかもしれないが、袋の再利用というこの姿勢に驚き

エコへの取り組みが本物であると感じました。

 

このような記事を読みながら、家庭を切り盛りする主婦であれば誰でも

使用済みのビニール袋や紙袋、包装紙を必ずそのままゴミ箱に入れる人はないのではと思います。

大きさに分けて、厚さに分け、ゴミ袋にするもの、人に何かを差し上げるときに使う袋や包装紙に使ったり

また、てんぷらや油ものを揚げる時の敷き紙の下敷にしたりとその用途によって仕分けをして常備しておきます。

 

しかしながら、個人の家の単位では1人の人の裁量で何事もうまく運べるものが

これが企業の規模となると大変なことでしょう。

私自身も、会社の中でことあるごとにビニール袋の再利用のこと、包装材料やダンボールの使いまわしのことを

よく注意するのですが、記事の百貨店のように徹底して皆が地球環境を思い、経済的なことも考え

エコに徹することの難しさをいつも感じています。

 

会社であっても、家であっても同じことです。

いつも清潔に整理整頓された職場で美しい良いものを創造する。

そしてそれを消費者の方々に届ける過程でも

環境に配慮した日々の行動の大切さをいつも思いながら仕事したいものだと痛感しました。