井上千鶴のことば

美しい季節になりました

 

先頃迄は、桜の花が種類によって

次々と咲きニュースでも、その話題が

よく聞かれました。

今年は例年よりも季節の進み具合が

早く桜が終わると一気に藤・ツツジ・

大手毬等の木の花から、すずらんや

エビネ草のような草花迄が咲き出し

楓の新芽が開いて鮮やかな空気を

醸し出してくれます。

 

そんな美しい季節の中で最近気になる

事の一つに民主党の存在があります。

3年前迄は、民主党が政権を得ていた事も

忘れてしまったかのような薄い存在になって

いるのは、どうしたのかと思うばかりです。

地方選挙でも自民党が圧勝。

「日米防衛協力の前の指針」の外務、防衛の

閣僚会議が開かれ、日本の防衛、集団的自衛権

の事等が話し合われたとか、私達国民は

このような時、日本の野党はどのような役目を

果たすのか、ただ自民党が自分達の思うように

(公明党がわずかなプレッシャーになっているのでしょうか)

何事も進めているようにしか思えません。

本当に、この様な型の政治が良いのか。

民主党時代のように何事も進まない

停滞したままの社会であっても困るのですが、

何とか良い方法はないのかと思うこの頃です。

 

庭へ出ると新緑の鮮やかさと、すずらんの

ほのかな甘い香りが、新聞を読んだ後の

ストレスを包み込んでくれます。

美しく良い社会でありたいと願うばかりです。

井上千鶴のことば

 

 

Lier 幡

 

Lier 幡がリニューアルオープンをして

1ヶ月が経ちました。

1ヶ月の反省会をスタッフと会社の関係

合わせて7名で喧々諤々3時間余り

話し合いました。

Lier の商品販売の担当者、カフェのスタッフ、

会社の企画担当、営業担当、まとめの私。

各々が自分の立場からの意見、会社全体

としての意見、そして各人の仕事の仕方から

個人の体調管理に到る所まで話が出来ました。

この事は私にとって皆が成長し、それぞれの

人の事を思いやりながらも企業として

どうあるべきかを考えられる大人になったなと

思える大変うれしい一時でした。

 

考えてみれば11年前はほとんど私の考え

だけで作った店でしたが、この間に若い人達が

育ち、特に中小機構の方々の手助けもあって、

会社とはどうあるべきものなのかをこの3年間に

学んだ事がLier 幡のリニューアルという事でより

一層勉強になったのではないかと思います。

何か皆のパワーに頼もしさと各々の人の

自信を見る思いをした良い会議でした。

もうそろそろ、私の出番も卒業近しです。

 

井上千鶴のことば

 

三寒四温しかし春は着実に冬物の衣類は洗濯を完了し、

春物に入れ替えたとたん昨日から冬に逆戻りの気温です。

細やかな雨に濡れた新芽の淡緑と桜や椿のピンク、加えて山吹の黄色が

入って、印象派のキャンバスを見るような庭先をうっとり眺めています。

寒くなっても一時の事と言わんばかりに自然の草木は着実に芽をふくらませ

一雨毎にいぬふぐりや、かたばみ、はこべ等とりどりの雑草は我先にと根を

伸ばし成長して行きます。

寒い間、草引きから解放され庭へ出ても身をかがめる事も無かったのに

二週間程前からは、新聞をとりに出てもゴミ出しに出ても必ず目につくのが

敷石や苔、竜のひげの間から少しづつ威力を張っていく雑草達です。

雑草という言葉を使う度に申し訳ないような気持ちになるのは、よくよく見ると各々の形

表情をそれなりに持った個性ある植物なのに邪魔物にしてそう言ってしまう自分の身勝手を

見せつけられるように思えるからでしょうか。

実際、自然のバランスを生かしながら、これらの草々を生かした

庭作りが出来ないものかと最近真剣に思うようになりました。

年をとったからか草引きも一時間半が限界です。

そういった実利も勿論ですが何より名もない草々にも可愛らしさや美しさは勿論あります。

それを最大限に生かし、そこに好きな樹木を配し自然の季の流れを計算に入れた美しい

庭というか景観を作れないものかと考えます。

来年あたり一度挑戦しようと思います。良い案ありましたら是非お教えください。

こんな事を考えながら美しい庭、でも下を見れば雑草との戦いがあると思いながら今日も仕事に

行ってきます。

井上千鶴のことば

 

 

春がやってきました。

庭の椿が散り始め、替わってこぶし木蓮が軽やかに咲き出しました。

同時に土佐水木や雪柳も花をつけています。

外へ出ると、どこからともなくやわらかな春の香りが漂ってきます。

少し遅咲きの枝垂れ桜もひとつふたつと花をつけだしました。

 

例年通り、2週間前より花粉症の具合が悪く

頭や首回りまで神経が走る痛みで

売薬ではどうにもならず、ついに年1回恒例の耳鼻科通いを始めました。

 

今年は昨日朝の診察が効いたのか

今朝は久しぶりの爽やかな目覚めの朝でした。

気持ちが良いと掃除や花を入れ替えたり、仕事も進みます。

人間の気持ちはこんなにも少しの不快がやる気を萎えさせるものかと改めて思いました。

お薬をしっかり飲んで、また明日からがんばります。

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

 

 

神饌

 

ようやく春らしい日が続くようになってきました。

相変わらずビュアーの机に向かってフィルムを見ています。

2日程前から神饌のフィルム整理にかかっています。

神饌とは字の如く神様が召し上がる食事、お供え物のことです。

神道によらず仏教でもお供え物の型は様々なものがあるようです。

仏教では生臭物は避けて、植物由来のものだけが供えられますが

神道では魚や貝はもちろん、雉やカエル、イノシシなどの動物まで

形をそのままに残してのお供えや貴重なものが供えられます。

 

中でも種子を使った造形物の供え物の美しさは驚くばかりです。

赤、黄、緑、青にお米粒を染め、元の白米の白と合わせて5色を使って

幾何学文様を描きながら円筒型に造り上げます。

もちろん、現在はピンセットがありますから

まだ時間さえかければ出来そうですが

これが1000年も前から造られていたとは本当に驚きです。

 

また、麦の穂付きの一本一本を並べ揃え立て、その上に真っ赤なほうずきを飾ったり

柚子の実を円筒状に並べて、その頭にケイトウの花を飾ったり(人の首のイメージ)とか。

美しいのか、グロテスクなのか

よくよく考えてみると、何か生々しいものがそこには隠されているようなものまで

長い歴史を窺うことが出来るのです。

 

そんなこんなで考えながら、30年ほど前にインドネシアに行った折に見た光景を思い出していました。

日本の昔を思わせる小さな段々畑が続く中を

高さ70cmほどもある供え物を頭の上に乗せて片手を添えて

多くの女性が三三五五に畦道を歩いてお祭りに来るのを見たことがありました。

寺院の近くの小川で沐浴をして、最後にお寺へ入っていくのです。

 

洋の東西を問わず、信仰にかける人々の思いの熱さが

文化の伝承に欠かせないことだと思う1シーンでした。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

ファッション

 

私の机の上に美しい高齢の女性が写った一冊の写真集が置かれていました。

このところ話題になっている、年を経てもお洒落を楽しむ女性の写真集です。

色とりどりの衣服を上手に重ね合せ、それぞれの方々の感性で

ひとつの世界を作り上げる。

特に若い頃から培ってきたお洒落の厚みというものが持ち物、アクセサリーなどから感じられます。

 

流行は時代に応じて変化していきますが

その中で自分に似合った形を取り入れ

以前から引き継いでいる衣服に新しいファッションを

少し取り入れることで、その時代の流行を表現する。

自分流を身につけている方々だと感じ入りました。

 

振り返ってみると、私も娘時分はお洒落が大好きで

母と大阪へ買い物に行くことが楽しみでもありました。

大阪ミナミの高島屋と心斎橋大丸の間をに往復することも

間々あったほど買い物が好きでした。

母の立場、年齢と同じようになったこの頃では

昔のように着飾ることの楽しさ、意欲がだんだん減退して

見苦しくない程であれば良いと思う気持ちが大きくなってきました。

 

昔、上司海雲さんの友人で須田剋太さん、鈴木光さん、杉本憲吉さんなどが

七人展という名称でグループ展を東京、名古屋、大阪で度々催されていた時代がありました。

私も博道もよくその会のお手伝いと言っては遊ばせていただいたものです。

 

今考えてみれば、皆さん、70歳以上の方々でしたが

海雲師は白の着物に墨染の法衣

須田さんは上下つなぎのジーンズ(ポケットが幾つもついた物)にジャンパー

唯一の女性、鈴木光さんは決まって紫色の縮緬のお着物に

時には黒の羽織(微妙にいつも異なる紫の着物と帯、それに道明の帯〆)

いつもシンプルな、しかし各人各様の個性が光る凛とした装いだったなと懐かしく思い出されました。

 

とりとめのないことを書いてきましたが

装いはその人なりの自己表現です。

私ももう少し力を入れて、しかし自分なりの装いの形を考えていきたいと思わされる写真集でした。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

 

春待ちの憂鬱

 

2年前に頂いたシンピジュームの鉢花が

今年初めから蕾を付けました。1ヶ月半程で

花が開き始め、先週より満開に咲きました。

二鉢の花が各々三本、五本と花を立て、

しっかり咲いた花は、頂いた時の美しさ

に及ばないものの自然な花付きで自分

一人悦に入って、毎朝・夕、花を見ながら

お食事を楽しんでいます。

大して世話もしないのに、こんなに立派な

花を付け、見る者を幸せにしてくれる花の力は

大変な物です。それが、自分が咲かせたかの

ように誇らしく思うとは、思い上がりという物です。

多分これは以前、頂いた時の状態がたまたま

良くて、その力がまだ持続しているに違いない

とは思うのですが。

それにしても立派な花を付け咲き誇る姿は、

大したものだと言いたくなる程です。

 

それに引き替え自分は、この所、何か意欲減退で、

いろいろな事に積極的に向き合い行動してゆく事が

出来ません。とり合えず目の前の仕事を片付けるだ

けで、仕事が面白くてガンガンやって行くという気に

なれないのです。

そのくせ会社の事が気になり見るとついつい出来て

いない所を指摘したり、若い人の行動を注意したり

してしまいます。

その結果、自己嫌悪なのか、暗い気分になりどうすれば

若い人達が育つのかと考え込んでしまいます。

自分自身の意欲所ではなくなります。

暦の上では、雨水で、春を呼ぶ雨・草が子葉を出し、

木が芽を膨らませる季節になりました。後一月もすれば

桃の花や、れんぎょう、木蓮、そして桜の開花と目白

押しの花の季節です。

 

余り憂鬱な事を考えず前向きに前向きに気持ちを

切りかえて行きます。

春到来、待ち遠しいです。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

琳派400年

 

本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、乾山そして酒井抱一、鈴木其一と続いた

琳派が日本美術の大きな柱となったのは今から400年以上も昔のことです。

その当時の美の世界を現代の私たちが見て、豪快、華麗、そしてはかない詩情を感じるのは

本当に日本人としての誇りというべき物でしょう。

 

時を経て、なお見る者を魅了してやまない感性の偉大さにふれるごとに

新しい驚きと喜びに満たされるのは、多分私だけではないと思います。

それほど私は日本美術の中でも琳派の美が昔から大好きです。

 

今回、この琳派が大きく取り上げられ、それと時を同じくして日本ブームというか

世界の人々が日本文化の特異性とその素晴らしさにようやく目を向けだしました。

アニメやおもてなしだけでなく、自然、歴史、くらし、美術、人間関係など

こんなにいろいろな角度から日本の良さを世界中が評価した時は近年なかったのではないでしょうか。

 

ひょっとしたらペリー来航以来のことではないかと思うほどの評判です。

パスポートのハードルが低くなったことや、東京五輪に向けての宣伝効果

他国とくらべると安全であることなどが人気の要因になっているのでしょうか。

本当に胸を張ってそんなに立派な国ですよというには

昨今の社会のあり方は恥ずかしい状態です。

 

しかし、そのような中でも精一杯良い社会のために、そして

この機会に私たちがこれから何をどう発信していけば本当の意味での

良き国日本となれるのか、背筋を伸ばして考えなければならない時なのでしょう。

 

 

 

 

 

井上千鶴のことば

 

もうすぐ春

 

大寒だと言うにしては昨日今日は少し寒さも

一息ついているのか節分前の一呼吸なのか

春めいた空気を感じます。

 

先週からフィルム整理が東大寺、二月堂・修二会の

所に来ています。30年以上も前に二年間程かけて

東大寺を撮り続けた時期がありました。

 

中でも修二会にかける気持ちは熱く

前行の別火坊(2月20日から)の時から

3月14日満行の時まで、通いつめていた博道

の姿が思い出されます。

又、私も娘時代から親しくしていただいた僧侶の

懐かしいお顔が出てきます。

そんな感傷的な気分になりながら、1200年以上

も昔から永々と続けられて来た修二会の行に

見られる奇妙な祈りの形に吸い込まれて行きます。

門外漢の私だから余計にそう思えるのでしょうか。

 

他の寺の行事はもちろん神道の中では、

見た事もない立居振舞は、

日本古来というよりも外国からもたらされた物

なのでしょうが、そればかりではなく

日本独特の水・火・米を大切にする祈りの型も

加わり時代を経て今の形になって

受け継がれて来た物なのでしょう。

それにしても聴覚・視覚が重なり合い

大変な厚味のある行が毎夜、繰り広げられるのは

撮る方も僧侶の方々も息つく間もない

真剣勝負の二週間、そんな迫力を感じる時間でした。

後1ヶ月もしない間に試別火が始まります。

もうすぐ春です。梅の開花も告げられます。

 

 

 

井上千鶴のことば

 

 

大寒に入り大変な寒さが続きます。

今年は12月から寒さが厳しかったこともあり

とり立てて、この頃の寒さを厳寒と感じないのは私だけでしょうか。

しかしながら、この大寒を過ぎれば、徐々に日も長くなり、僅かながら暖かさに向かっていきます。

そう思えばこの寒さも峠かなと思うことで、なんとなく春めいた気分になります。

 

今週の日曜日に友人とゆっくり話す機会がありました。

仕事を介しての友人なので

今までは趣味のことや好みの美術などについての話題はなかったのですが

そんなことを話し出すと、どんどんその人となりや

ビジネスの世界以外での人柄を知ることで、本人の意外な面が浮かび上がってきます。

 

昔、父の友人や知人の集まりで、大人たちが話しているのを端でいつも聞いていました。

人の話を聞く、そしてそれに関して自分の意見を言う

またそこから話題が展開していく楽しさを娘ながら感じていたように思います。

 

若い人たちと話したいと思っても、なかなかこのやりとりができません。

もちろん、年齢の差や興味の対象の違いなどがあるのでしょうが

それは今に始まったことではなく、昔から年の差を越えて話す楽しさを持つこともあったはずです。

そのためには、いろいろなことに絶えず興味を持ち、考え、そして行動して体験し

見て感じて、思うことが必要なのでしょう。

 

2時間ほども友人とお茶をいただきながら

工芸や物創りのことや、友人関係のことなど話が続き

ビジネスの話では見られない楽しいひとときでした。