井上千鶴のことば

運動会

 

自宅の仕事場では、近所の小学校、

幼稚園から流れる運動会の練習向けの

音楽やアナウンスが夏休み明けから

しきりに聞こえてきました。

今日は10月10日体育の日です。

孫の運動会に行くようになって六年目、

今回が最後の小学校の運動会です。

一年生の小さな子供から、ほとんど大人と

同じ位の体格、身のこなしの六年生迄、

可愛らしい姿です。

娘も通っていた同じ小学校という事もあり

私の父母も孫の運動会に来てくれていた事や

三年前に亡くなった主人が娘の頃と同様、

孫の生き々としたスナップを撮っていた事が

昨日の事のように思い出されます。

もう父、母、主人、三人とも居ません。

月日は人の歩みとは関係なく過ぎて行きます。

校舎や運動場の鉄棒、桜の木々は

30年前と同じなのにと思ってみると目頭が熱くなります。

その間に娘は大人になり、結婚もし、子供も授かり

その子が、今や小学校六年生になっているのです。

この様な感慨にふけながら、応援の声や、音楽の

流れる騒がしい中で一人静かな時が流れていました。

毎年終わり近くに人気の高学年による組み立て体操が

あるのですが、今年からは危険を伴う競技は見直す

方向なのか、何段も競って高くした組み体操も今年は、

三段になったものの、子供達が真剣に取り組む姿は

見る者を感動させてくれます。それに続く最後の

リレーも思わず大きな声で「京華ガンバレ。」と

叫ぶ程、興奮しました。

子供達の一生懸命に取り組む姿、

その様子を暖かな眼差しで見る保護者達、

いつ迄も平和な日本でありたいと思った一日でした。

井上千鶴のことば

秋来る

 

紫式部が紫の実を付け、秋明菊が清楚な

一重の花を咲かせ、ほととぎすの複雑な

顔がそろそろのぞき出します。1週間前より

金木犀のオレンジ色の小花が満開になり

すっかり秋の香りを放っていたのが、

いつの間にか、それも終わり、いよいよ秋が

やって来ました。

今夏は、初めが大層な暑さで、このまま

どこ迄、夏が続くのかと思っている間に

雨が降り続き、台風や豪雨の災害に

見舞われている間に、秋を迎えました。

例年とはちょっと異なった季節の移り変わり

です。又、近年にない程の中秋の名月、

十六夜の月の美しかった事。

 

海外の多くの方が、奈良、京都を訪れられ

ますが、これからの季節は、日本の一番

美しい風情を楽しめる頃です。その上、

野菜や茸、果物にお魚も美味しい物が

揃っています。

美しく、美味しく、そして、心使いの行き届いた

人とのふれ合いが出来れば、

本当に「日本は素晴らしい国」の印象を

持って帰ってもらえるでしょう。そのような

積み重ねが平和な交流の一歩となると思います。

今日も京都の岡崎で多くの海外の人達が

観光に来られていました。そういう人達と会釈を

交わして、すれ違いながら、ちょっと思った事でした。

 

 

 

井上千鶴のことば

シルバーウィーク

 

秋の長雨が終り、彼岸花が一気に咲き出しました。

今年は5連休で何処に行っても賑やかな事です。

私は、神戸、大阪の私設の美術館を訪ねました。

先日NHKでドラマ化された阪急の小林一三さんの

逸翁美術館は、その影響もあって多くの人が訪れて

いました。展示品は、もちろん古美術としての価値の

高い物、素敵な物が並んでいるのですが、それ以上に

小林一三さんが世界各地に行き、その地の美しい物を

好きな茶道に「見立てて」使う自己流の取り合わせを

楽しまれていた事が窺えました。

さすがに独自の才覚で鉄道、映画、歌劇、百貨店、

都市開発 等々、多角経営を操り広げられた方らしい

所蔵品の数々でした。

 

次に訪れたのは40年も以前に住んでいた阪急御影駅に

程近い香雪美術館です。

朝日新聞の社主 村山氏の美術館です。

駅付近は道路が拡幅され昔の面影は見い出せないものの

隣接する弓弦羽神社の森は、健在でした。娘の三歳の

お参りに来た時の事が懐かしく思い出されました。

美術館も緑が茂り、震災の爪痕等も何事もなかったかのような

佇まいでした。九州の黒田家の特別展が催されていました。

中でも革の陣羽織は永楽通宝の大きな家紋を染め抜き

戦国武将の豪快な美を思わせる逸品でした。

 

そして、最後は大阪都島の藤田美術館へ向いました。

広い敷地の中には高野山の塔頭から移築されたという

桃山時代の多宝塔が庭の一部に溶け込んだように

立っています。山田寺跡の礎石や東大寺の礎石が

点在する庭園の中に蔵を改築した展示室が在りました。

ひっそりとした蔵の中には素晴らしい古美術品が並んで

います。ぞくぞくするような逸品揃いです。法隆寺の

仏像を思わせるアルカイックスマイルの釈迦三尊仏の

石龕、漆が堆み重なった屈輪の凛とした合子、

玄奘三蔵等を描いた仏教説話の絵巻物 等々が

静かに迎えてくれます。奥行のある展示品の数々は

帰り際、藤田美術館所蔵品目録を見て、重ねてその

凄さに驚かされました。

美しい物、凄い物をただ見るだけでなく、それを身近に

置いて実際に使えたら、手にとれたら、もっと楽しい

だろうなと叶わない事ながら少し残念な気分になりました。

私にとっては身の丈に合った道具で楽しむのが気楽で

良いのかもしれません。(持ってない者の強がりかなー)

 

 

井上千鶴のことば

国会

 

安保法案が自民党・公明党の与党によって

可決されようとしています。国会周辺は、

連日反対を叫ぶ人達で大変なデモが

続いています。

九州や北海道等からもじっとしていられない

というので多くの人達が国会を目指して

駆けつけているといいます。先日も新聞に

そのような人達の声が載っていました。

私は朝日新聞を読んでいます。日本で一番

購読者数の多い新聞だと思うのですが、

安保法案が国会審議にかけられてから、

その論調は、だんだんと反対の方に傾く

一方で最近は世論をバックに学者や野党の

意見のみならず、いろいろな立場の人達の

声を載せています。もちろん、新聞社も各紙

個性を持っていますが国民が一番多く

読んでいるであろう新聞がここまで反対している

のに自民党は、それでも数を頼みに強行可決して

良いものなのでしょうか。

70年間平和に慣れて来た日本人の暮らしが

今後どのようになって行くのか不安に思うのは

私だけではないでしょう。

最近の社会情勢の変化、特に凶悪化する犯罪。

何の関係もない人が自己都合で殺したり、弱い

子供や老人がそのような犯罪者の標的にされて

いるのを見るにつけて、力で何事も押さえつけようと

する社会の恐さを感じます。

私は此の夏、大岡昇平の「野火」という映画を

見ました。とてもショッキングな作品でした。

戦争という異常な状態に置かれると人は

人としてのプライドも理性も感性も何もかもが

認められない、ただただ「戦争」という二文字の

下に「生きる」これだけが目的の動向になって

しまうのだと思いました。

決してそのような状況を作ってはなりません。

平和維持その為に70年間、私達の親の世代は

必死で生き抜いてきました。それが今、私達の

世代で戦争に近づく、あるいは戦争を容認する

国民となったと世界中の人々に見なされて

良いのでしょうか。

今回の安保法案にはそれが見え隠れしている

ように思えてなりません。

 

私の孫は小学校の修学旅行で国会を見学に

今日行っています。

このデモをどのような思いで見ているのでしょうか。

野党は何としても阻止すると言っていますが、

遠からず成立するのでしょうか。

孫が成人した時に、この法案は、どのように運用

されているのか、とても心配です。

 

井上千鶴のことば

 


 

白露

 

今日は9月9日、台風の影響で雨が降り続けて

います。暦通りと言うかそれよりも今年は季節が

早く廻ってくるようです。夏の猛暑が

あっという間に過ぎ秋の七草が咲き揃い夕方とも

なると虫の音も高くさぞ忙しい事ではないでしょうか。

その上、この所の雨の多さに心持ちまでウェットに

なっています。

昨夜もテレビを見ていますと認知症、特に

アルツハイマー病に罹られた方を取り上げての

番組でした。最近物忘れがひどく新しく覚える

事がとても難しくなって来た自分の事を考え

どのようにしたら予防出来るのかと気にかかり

見ていました。ご本人も回りの方々、特に奥様は

病を認めた上で努めて今迄と同じように社会の

中で働き友人とも交わり普通の生活を送られる

ようにサポートされています。

その上、運動、食事もバランス良く規則正しい

生活をし進行を抑制する薬を飲む事によって

発症から7年程経った今もハツラツとした

社会生活をされているという姿が紹介されて

いました。

又、米国でも以上の様な事を化学的な

データーを元に多くの人々と接し若い人々の

刺激を受けて生活をするという方向が治療の

一環として上げられていました。

それらを見て自身を振り返ってみますと

ありがたい事に68才の今もフィルムの整理や

会社の運営等に係わり、いつも慌ただしく

過ごしています。時々もう少しゆっくりとした

仕事の仕方が出来ないものかとか、庭掃除を

したり、友人達とのお付き合いもしたいなぁー等と

ついつい ないものねだり  をしてしまいます。

しかしながら基本的には充実した時間の使い方を

会社の皆のお蔭でさせてもらっているのだと感謝

しています。

これが何時まで続けられるかは解らないですが、

日々努力をして一日でも長く良い時間を持ちたいと

願っています。

 

 

 

 

井上千鶴のことば

秋近づく

 

7月後半よりお盆頃までは本当に大変な

猛暑でした。その後は一変、台風やら

大雨やらで、いつの間にか空の雲も鰯雲の

ような秋の空を思わせる日であったり、

秋雨前線が続いたり、考えてみれば暑さに

限らず痛み苦しさ辛さが、現在の日本の

中では1年も何年も続く事はほとんどありません。

(精神的に病む場合は別として)そんな中では

終わってしまえば、その時の苦しさ痛さが

どれ程の事であったか忘れてしまいます。

私は最近、冬は霜焼けで手も足も人にはお見せ

出来ないような状態になり、そんな時は早く夏が

来てほしいと思い、夏になれば更年期以来、

上半身ばかりが異常に発汗します。その挙句

早く秋になって欲しいとばかり思うのです。

全く、その時々の苦しさを忘れ季節の移り変わりに

期待する日本ならではの都合のよさにあきれます。

しかしこのように思えるからこそ日々何かしら

希望を持って生きられ夢を追いかける事が

出来るという事でしょう。

 

今夜は涼やかな虫の音が聞こえます。

いよいよこのまま、秋の到来なのでしょうか。

ちょっとそれは余りにも調子が良すぎです。

もう一度揺り戻しがあるでしょうが、何はともあれ

秋近しのこの時期、虫の音を聞きながら夜長を

楽しむのも又、格別です。

やはり日本人で良かったなと思うこの頃です。

井上千鶴のことば

夏の草引き

 

7月の末にいつものシルバーセンターの方達に

猛暑の中、草引きをしていただきました。

余りの暑さに体調を崩されないかと気になりながら

自分では出来ない事を、表の庭から裏の方まで朝から

夕方までかけてしていただいたお蔭で、すっきりと

出来上がりました。

しかし、この暑さにもめげず植物の成長は止む所を

知らず2週間程も経つともう、カタバミ や いぬふぐり

等は根を張り伸びていきます。

次にお願いしているのは9月なので何としてもそれ迄は

自力で見える所だけでも整えなければなりません。

お盆前の12日には、そんな思いで早朝から前庭と

駐車場近くを掃除と水やりを兼ねて頑張りました。

植物を触りだすと、ここも、そっちもとどんどん気に

なり出します。又、樹木の幹の状態や生育の良し悪し等に

目が行き気がつくと、お昼近くになっています。

早々に切り上げシャワーを浴びてほっとしていると

久し振りの炎天下での作業としゃがんだ姿勢での

動作が体にこたえたのか、どっと疲れが出てきました。

その日一日、お年寄りのような緩慢な動作の自分を

見て、年を取ったな~とつくづく思いました。

と同時に水を浴びた苔が緑を開き瑞々しい庭の

表情を見ると、ほっとして、その美しさに一時

疲れを忘れます。

 

こんな事を書きながら、お盆休みも今日一日

最後は奈良国立博物館の白鳳の仏さんにでも

会いに行こうと思っています。

井上千鶴ことば


 

身の回りの物

 

デパートへ行くと、ある一定以外の良い物がテイストは

別として置かれている。テイストは別としてという言い方は

角のある言い回しですが、和風の物、洋風の物、

家具だけを見てもロココ風の家具から近代の作家物まで、

一応良い物が揃えられています。そのディスプレイもテイスト

に合った物をその雰囲気を壊さないように集め楽しめるように

されています。

私は展示場のように生活感のない美しさは決して好みでは

ないのですが、一つ一つの家具、食器、額、軸、座布団、

スリッパ、絨緞まで自分が納得のいく物しか家に置きたく

ないと思っています。

その思いは一体どういう事なのかと言いますと多分それは

自身が身を置く所に在る物は気になるものはかなわない、

と言うか、しんどいと思うのが嫌で、そう思うのです。

第一に家の中は安らかであって欲しいと思います。

この考えは着る物、付き合う友人、一緒に仕事をする人々

皆、お互いそうありたいと思っています。

今日着ている物、付けているアクセサリー、履いている靴、

持っているバッグ迄が少しでも気になると言うか

自分にとっては合っていない場合、一日中、

安定しない気分が何処かにあります。それは他の方から

見れば大した事ではないのですが、自分にとっては

捨ておけない事です。考えてみれば、こう思う事は

幼い時からそうだった様に思います。

ようやく今頃になって、その思い、考えは安定という

事に継がっているのだと解ったような次第です。

私以外の多くの方も自分の好みとはそういう事

なのではないでしょうか。

 

 

井上千鶴のことば

お盆

 

猛暑の勢いが少し衰え、何となく秋空めいてきました。

高校野球も終盤を迎える頃、毎年お盆の行事が

始まります。とは言え、昔、実家で母が忙しくしていた

思い出の中の事なのですが。現実の私は少し念入りに

家の掃除をする位で、お供え物やお花を整え、

日頃はメニューにない精進料理の材料を買出しに行く程度の

事です。いつもは一人分の食材も仏様用の細々とした

買い物も結構な嵩になるものです。母が近所の市場へ

何度も足を運んでいた様子が目に浮かびます。

50年以上も昔の事です。用意している中、

近しい人々の顔写真を見ながら

いろいろな思い出と光景が浮かびます。

 

考えてみれば、こんな思いになる「自分」は一体

何時その「己」の自覚を持ちその気持ち、思いは

一体この先どうなるのか、生命が滅んでしまえば

もちろん、その「己」の自覚も滅んでしまうのでしょうが

それはどういう感覚なのか、既に他界した人々が

居る所へ行くなんて事があるのでしょうか。(一番

それを望んでいるのですが)

全く解らない事です。幼い頃、死別という場面に

遭う度に、又、いつか私も亡くなれば、その時は

会う事が出来る、私を迎えに来てくれると浄土の

教えそのままに信じていたものです。

この齢になっても、そうであって欲しいと思うのは

誰も行った事のない世界であるだけに勝手な思い

込みでも良いのではと思います。

その方が、今生きている自分にとっては、行き易く

又、次の世で会いたい人々に会える、言い残した

事も会って話せるという希望が湧いてきます。

何にも増して、一人で暗い暗い所へ行くのではなく

きっと、亡くなったムーやハナやトムやジムやメアリーに

囲まれた博道や海雲さんや父、母が迎えに来てくれる

と思うと、そっちの世界も楽しいのではと思えてくる事が

嬉しい事です。

そんな事を思いながら用意完了、お盆を迎え

般若心経を唱えました。

 

井上千鶴のことば

 

 

雑木林の枯木

 

私は毎日のように ならやま大通りを東へ奈良へ

向って車を走らせます。最近3ヶ月程前より

気になる事があります。押熊を通り過ぎ高の原の

南を通る頃、東の方向を見ていると今の季節なら

濃い緑一色に包まれているはずの林のあちこちに

枯れて真っ茶色になった木々が目に飛び込んで

きます。以前は松枯れが所々にあったのですが、

松ではありません。近くで見る事が出来ないので、

何の種類の木なのかは定かではないのですが、

椎か樫か広葉樹には違いありません。害虫による

ものなのか、あるいはこの近辺だけの事なのでしょうか。

とても気になります。

 

考えてみれば、この所の異常(恒常化しているか?)

気象が成せる業なのでしょうか。長雨の大雨が終るや

高温多湿の日が続き、あまりの極端な気候変化が

植物や昆虫等に大きなダメージを起こしているようにも

思えます。

大暑の頃はもちろん1年の内でも最も暑さを感じる頃では

ありますが、近年の変化の激しさは春ののんびりとした

風情を味わう間もなく、長雨や災害の情報が飛び交い

そうこうする間に次は猛暑の到来、この暑さが又長く続き

10月に入ってもようやく朝夕涼しくなったと思っていると

次は寒い寒いという言葉になります。

日本は四季を楽しめる国柄であった筈が、いつの間にか

春、秋が短くなったように思われます。

温暖化の影響なのでしょうが、その速度が早く、あらゆる

所に出てきているのかもしれません。