井上千鶴のことば

善水寺

 

暖冬がどこまで続くかと思っている矢先、

お正月の終わり頃から急に例年並みの

寒さになってきました。

今日も朝から寒かったのですが、友人と

全く聞いたことがない湖南の国宝のお寺へ

行きました。

竜王インターより岩根山へ20分程山の中を

走ると 天台宗岩根山 善水寺 の石碑が

突然表れます。

手前に大きな造成中の駐車場があり、

その奥に立派な桧皮葺きのお堂が目に

入ります。こんな山奥に何と立派なお堂かと

思いながら人気のない受付で、呼び鈴を

鳴らし、何か用事をされていたらしい作務衣の

僧侶が走って出て来られました。

本堂は南北朝時代の建物で国宝であるとか、

本当に堂々とした立派な和様の趣を残した

建物です。奥様らしい人がお寺と諸仏の説明を

丁寧にしてくださいます。

冷たいお堂の中の小さな囲いの中で、参拝の

人の為にいてくださるとは、と思いながら。

御本尊は秘仏の為、拝観出来なかったのですが、

写真では、雅やかな平安時代の薬師如来で

重要文化財、金銅釈迦誕生仏は天平時代で

これも重要文化財、その他、梵天・帝釈天・四天王・

持国天・増長天・金剛力士像等々、重要文化財の

お像が林立しています。

ただ、残念な事に金剛力士像も本堂の外陣に

二体置かれていたり、他のお像も修理を何とか

して欲しいと言わんばかりに護摩の為か、汚れた

ままで、悲しい気持ちになりました。

これが、京都市中のお寺であれば、と、ついつい

御住職夫妻の気持ちをいろいろと思い遣りました。

最近、海外の人々で賑わう、京都・奈良の寺社の

様子を見るにつけて、ようやく日本の伝統文化の

特異性、美的な存在感の大きさを世界中の人々が

認識し、押しかけるようになりました。

しかし、1000年以上も昔から守り継がれた文化と

文化財は、それを支えてきた人々が居た事、そして、

現在も善水寺のような、メジャーではないお寺が、

まだまだひたすらに祖先の残した立派な建物、仏像、

そしてそれを大切に守るという精神を継いでいる、

この事が世界の人々を呼び寄せる礎になっているのです。

現実を目にすると日本の文化行政はもちろん、

多くの若い人々が、その事に気付いて欲しいと

切に思いました。

何か私達に出来る事はないでしょうか。

 

 

 

井上千鶴のことば

沈丁花

 

お正月三ヶ日には、水仙・蝋梅・椿が早々と

花をつけ、冬とは思えない風情のこの頃ですが

三日前位から何となく冬めき、この季節らしい

寒さを楽しんでいました。ところが、三年前に

植えつけてもらった小さな沈丁花が、

この暖かさの中、早々に白い花をつけています。

馥郁とした品の良い香りが、木の回りに

ただよっています。

三連休の半ばの今日は全く春の陽気そのものです。

落葉掃除で体を少し動かすと汗ばむような気温です。

沈丁花の花の香りを好んだ博道は冬の終わりかけ、

春めいた感じをどこかに探したい頃に、きっちり

咲いてくれる沈丁花の香りを散歩中に気付くと、

決まって 「もうすぐ春やな~。」 と言っていたのを

思い出します。香りに敏感な人でした。

そんな事を思いながら、この後もう春とは

思えないのですが、咲き出した花が、霜等で

茶色くなって枯れてゆくのを見るのも寂しいです。

やはり、季節は着実に進んで欲しいものです。

 

井上 千鶴のことば

2016年始まる

 

暖かな新年を迎えました。

エルニーニョ現象の為なのか、クリスマス頃から

冬とは思えないような年末年始で、霜焼けで

毎年今頃は、手と足の指が腫れて痛く、

ゆるい靴しか履けない状態ですが、今年は

お陰で普段通りの靴を履く事が出来ます。

それにしてもこの生ぬるさは、新年とは程遠い

感じです。やはり冬は寒くキリキリした空気が

肌に当るようでなくてはいけませんね。

 

新年を迎えるにあたって、南禅寺管長の

中村文峰師より  “禅智新” の色紙を

頂戴いたしました。

 

「禅智新たなり (ぜんちあらたなり)」とは

今を生きて行く知恵。これを禅智という。

人生において様々な経験を積み重ね、

苦難を乗り越えてこそ自分の物となる。

禅智は自身の中から生じる物であり、

一生懸命生きてこそ得られる智恵である。

 

今年も一年佳き年となるよう、努めます。

 

 

井上千鶴のことば

歳末

 

2015年仕事納めも明日になりました。

一年を振り返るのは31日の楽しみにして、

今日は、お買物に繁華街へ行きました。

クリスマスのデコレーションに替わり松飾りで

お正月の雰囲気を盛り上げています。

食品の売り場は、お節料理や、お正月の

帰省向けのお土産等で、大変な賑わいです。

パンとハム等を買うだけの為に来た私でも、

何か買いたくなるような浮き浮きした気持ちに

なってついつい買わなくても良い物をいろいろ

買ってしまい付和雷同というか、その雰囲気に

呑まれてしまいました。

でも、楽しい気分で帰路に着きましたが、

考えてみれば日本は世界の中でも、いろいろな

問題を抱かえながらも一応その中で生まれ、育ち

68年間暮らせた事は、平和で安定した社会で

あればこその幸せだと感じます。

本当に有り難い事だとつくづく思います。

つらつらそんな事を思いながらの歳末の買物でした。

さあ、後僅かな日数の中で、日頃出来ない掃除と

整理をし、松、梅、千両を生け、正月飾りの道具や

軸を出し、新たな年を迎えます。

井上千鶴のことば

朝焼け

 

昨夜は片付けや葉書きを書き終えると

眠たくなり、早々にベッドに入りました。

すると珍しく朝日が昇る前に目覚め、

顔が寒さでしまるような中、今日は散歩を

しようと意気込んで出かけました。

東の山端から顔をのぞかせた太陽は、厚い

雲の間から一気に輝きます。朝日が出る所を

15分間程、ゆっくり歩きながら見ていました。

何とも美しくて、心に染み入る瞬間です。

その後は雲に遮られてオレンジ色の光が

その間々から焼けている状態で、それも又

とても渋い美しさでした。

早起きのおかげです。

最近、何故か母や祖母の出てくる夢を見ます。

それも私が困った時、母が居ないかと探したり

おばあちゃんなら助けてくれるのにと思ったり、

いつも助けを乞う時です。

今、何に困って悩んでいるというものでもないのですが、

潜在的に誰かに頼りたいが頼れない、

そんな自分の状況がそうさせているのでしょうか。

目覚めて夢の分析をしても仕方ないのですが、

考えてしまいます。68歳になっても昔の幼い頃の

尾心地の良さが懐かしいのでしょうか。

それはともかく早朝の美しさは例えようがない

今朝でした。明日も良い日でありますように。

井上千鶴のことば

冬の嵐

 

朝6時、昨日から降り続いた雨が朝方から止み、

夜明け頃には陽が差し出しました。

ブラインドを開けると東の山の麓に雲が棚引き

その上になだらかな山々が並んでいます。

まるで一幅の墨絵を見るようです。

昨日、知人と電話で股関節が痛んで

歩けなくなりそうという話を聞き、日頃の運動の

積み重ねが、筋肉を養い、老化のスピードを

和らげるという事を思い出しました。

1週間振りに今日こそは歩こうと出かけました。

15分程歩いた頃、突然の風雨です。

本当に信じられない程の風と大雨で、そこから

早足で15分ようやく、ずぶ濡れで家に到着しました。

暖かな雨の中、紅葉した木々や下草の鮮やかな

彩りを見ながらの散歩は少々きつい思いはしたものの、

楽しい一時でした。

少しは運動になったでしょうか?

師走も半ば近くなります。休日は家の細々とした所の

片付けや掃除に時間を使いたいと思っています。

井上千鶴のことば

 

初霜

 

朝6時40分、久し振りの早起きで窓を開けると

黒い屋根の上が、うっすら白くなっています。

私にとっての初霜です。

身の締まるような空気の中を散歩に出かけました。

最近、腰痛やら、朝が以前に比べて遅い為に

ついつい散歩が滞りがちになっていたのですが、

顔に当る冷気が何とも気持ちよく、登校する

小学生の可愛い、おしゃべりを聞きながら歩きました。

12月に入り、いよいよ今年も最終の月を迎え何となく

やり残した書類の整理や出来ていない仕事の事やらが

気にかかります。

この所、どうしてもフィルム整理の方にかける時間が

多く、幡の仕事が滞りがちです。

蚊帳の事、麻の事、カフェの事、気になる所は

いろいろあります。社会の人口減少や消費が

進まない事や貧富の二局化等々の現象は、

決して小さな会社であっても無縁ではありません。

そのような諸々の社会のあり様を考えつつ、私達の

会社はどのように進めてゆけば良いのかをゆっくり

話し合いたいと思っています。

霜が下りて気温が下がると薄や茅、力芝によもぎ等が

紅葉を始めます。その中に残りのアワダチ草の黄色が

混じり、美しい彩りを見せてくれます。

早朝散歩の楽しみです。

明朝は雨の予報ですが、この雨が上がれば、

きっと美しい風景が見られる事でしょう。

週末の散歩が待ち遠しいです。

 

 

井上千鶴のことば

心持ち

 

最近、私は周囲の人に対する気持ちが、

ある時は好意を持ち、ある時は何とも

印象の薄い気持ちであったりと、その時々で

自分の感じ方が微妙に変化します。

夜、仕事が終り、簡単な夕食をいただき、

片付けをすると、10時頃一人になると

孤独というのか、不安定な気持ちに陥ります。

テレビを見たり、新聞を読んだり、本を読んだり、

でも話す事はできません。

人の気配もないのです。

私は決して賑やかな事が好きな方ではありません。

博道や千華(娘)と一緒に暮らしていた昔は、

時々一人になりたいと思った事もありました。

今でも一人で出かけるのは苦でもなく、かえって

ゆっくりと気儘に過ごせる気安ささえ感じるのですが、

最近のこの状態は老人性の‘‘鬱”でしょうか。

それとも、仕事の事が頭から離れないが為の

仕事中毒性なのでしょうか。

ゆったりとした気分で仕事を楽しんで出来るような

状態を作りたいと願っています。

年令を考えれば、そろそろそんな境地に入らなければ

とも思うのですが、思う様にはいきません。

 

庭の楓の紅葉が今年は余り美しくなりません。

夏の水不足の為でしょうか。

私も今頃になって、壮年期にすべき勉強不足が

たたっているのかもしれません。

今からでも修正して、よりより充実した老年期を

過ごせるよう努めたいものです。

井上千鶴のことば

立冬

 

今日は文化の日で休日なのに、定時(6時半)になると

自然と目覚めます。

朝の10分間体操をしようと窓を開けると、お隣の屋根も

見えない程の濃い霧です。

そう言えば思ったより冷え込まないはずで霧が出たの

でしょう。博道であれば霧の出そうな昨夜のうちに、

用意万端カメラやおやつの準備をして明け方前に

撮影ポイントに立っていたのでしょう。

正倉院の杏南、南京ハゼの木立の中に佇む鹿を

シルエットで撮った影像等は正に今朝のタイミング

だったのでしょう。

そのような事を思いながら、庭の手入れを始めました。

桜やかりん、山法師が葉を落し、秋明菊や、ほととぎすの

花もほとんど終わりました。いよいよ冬仕度です。

しかし、もう1週間もすれば我家の庭は楓の紅葉で

まっ赤になります。今はまだ、そろそろ緑に混じって、

赤くなりかけの頃ですが、下草の野草の枯れたのを刈って、

これからで出す水仙の葉の邪魔にならないようにしたり、

庭も冬景色を愛でる準備をしなければなりません。

何といっても、11月後半から12月にかけての紅葉が葉を

落した後は、まっ赤な絨緞が敷かれたような風情は、

私の一番の楽しみです。

そしてそれが終わると今年一年が終わります。

井上千鶴のことば

 

バス旅行

 

紅葉には少し間がある昨日、霊山寺が企画されている

霊山寺塾の秋の戸外研修に参加しました。

今年は、帝塚山大学教授の西山厚先生が講師を

務められています。バス1台を貸切り、三輪の大神神社の

若宮を祀る大御輪寺から聖林寺へ行き室生寺で午後を

過ごして、夕方帰宅というスケジュールです。

バスツアーと言えば高校の時以来の事かと思いながら、

大人(平均年齢は多分67~8才位でしょうか)ばかりの

それも顔見知りの方は2~3人で、ちょっとした不安の

中のスタートでした。

山の辺の田園風景の中、大御輪寺や聖林寺で

西山先生の楽しい講義を聞きながら、

自分の知識のなさに驚き、久し振りの勉強気分を

楽しみました。

室生寺といえば、博道が若い頃、日本の伝統文化

特に仏教美術の素晴らしさに眼を開くきっかけとなった

お寺でもありました。産経新聞社に籍を置きながら、

淡交社より出版した「室生寺」は、彼の代表作の一つです。

そんな縁で、お寺へ何年も季節毎に通い、その間、

門前の橋本屋さんとは家族のようなお付き合いを

させていただいていました。先年、奥様が他界され、

寂しい心持ちで御主人(91歳)とお会いし、お元気な

ご様子に胸をなでおろしました。

博道の手伝いをしていた頃、私自身も何度となく一緒に

訪れたお寺は変わらぬ静謐な雰囲気を湛えていますが、

昔と異なる所は、お守りやお供えへの宣伝の文書が多く

いろいろな物が並べられているのが、信仰と美を求めて

来る者にとっては、いささか煩雑に思えてなりません。

そんな事を思いながらも、素晴らしい密教彫刻の美しさに

引き込まれ大杉の木々に囲まれたお堂に一時存分に

浸れる幸せを感じました。

そんなこんなで昔を思ったり、又、バスツアーという

囲まれた人達との新しい出会いを楽しんだり、

いつの間にか夕方を迎え、こういう時も年を重ねると

良いものだなぁと改めて思う秋の一日でした。

夕方、家へ戻ると寂しそうな虫の音が、秋の終わりを

告げているように聞こえてきました。